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古文科
以下の文章を読んでみてください。
※ページレイアウトの都合上、横書きにしています。
山*に、正算僧都*といふ人ありけり。我が身いみじく貧しくて、西塔の大林*といふ所に住みけるころ、歳の暮れ、雪深く降りて、訪ふ人もなく、ひたすら煙絶えたる*時ありけり。京に母なる人あれど、これも絶え絶えしき様なれば、なかなか心苦しうて、ことさらこの有様をば聞かれじと(1)思へりけるを、雪の中の心細さをや推しはかりけん、もしまた、ことの便りにやもれ聞こえけん、ねんごろなる消息あり。都だに跡絶えたる雪の中に、雪深き嶺*の住まひの心細さなど、常よりも細やかにて、いささかなる物を贈り遣はされけり。
*山…比叡山延暦寺。 *正算僧都…平安時代の僧。 *西塔…比叡山三塔の一つ。 *煙絶えたる…かまどの煙が途絶え、食料のない状態。 *嶺の住まひ…比叡山での暮らし。
(『発心集』による)
傍線1「思へり」の動作の主体は、正算僧都と母なる人どちらになりますか? 「心苦し」とあるから、、、母を心配する、正算僧都?それとも、息子を心配する母なる人?という自分なりの解釈で読解をしていませんか?登場人物は2人しかいませんが、動作の主体を取り違えると文章の大意の把握はできません。
このように、「Aさんの行為だと思ってたのに、Bさんだった、、」という経験はありませんか?日本語は省略の言語であるとよく言われますが、古文ではその傾向が顕著です。なぜなら、平安時代の識字率は低いため、作者は決して庶民に向け作品を書いているのではなく、同じ身分や知り合いに書いているからです。そのため、当然分かる内容に関しては、省略されてしまいます。入試問題における配点の高い内容把握を問う問題の多くは、そこをついて出題してきます。
これを踏まえ、授業では一貫して「主語・目的語・補語の省略」をどのように補うのか、なぜそのように考えるのかに重点を置いています。そのためには、単語・文法だけでなく、文学史、古典常識も総動員して挑まなければなりません。独学ではそれらは分断され、繋がりを意識して読み、解くことは無いに等しいと思います。授業では、文法・単語だけでなく、文学史・古典常識の知識を結集して問題の解答にあたります。
注1)論述を必要とする人には、本講座とは別に講習などで対応します。
注2)本講座に漢文は含まれません。
注3)理系の方は対象外です。
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